ほんの少しだけど、Yahoo!ポイントがあったので、岩手・宮城内陸地震で被災された方に募金をしました。
http://volunteer.yahoo.co.jp/donation/detail/1301008/index.html
から手軽に募金できます。
まだまだ募金額が少ないようなので、Yahoo!ポイントを持っておられる方は少しでも使ってあげてください。
簡単に募金できるようになっています。
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ファイルを整理していたら、いろいろ出てきました。
眠らせておくのももったいないので、
と言うより残しておきたかったので。。。
1997/1/16に作成したものなので、今とは考えも変わってますが・・・
1.17~1.17
街灯は光を失い
まだ日も昇っていない
暗闇の中
寒さに振るえていた
日も昇りかけ
薄明りの中
廃虚となった街を見た
申し訳なさそうに
黒い小雨が降ってきた
マスコミは騒ぎ立て
震災本が立ち並ぶ
がれきの街は全国に広がった
がれきの写真は
大切なものを伝えただろうか
国は国民の生活を抑圧する
経済は国に救われた
自分を救うように
しかし
人の命は天秤に掛けられることもなく
どれくらいの涙が流れただろう
悲しみは今も救われずさまよっている
「あの時、死んでいれば良かった」の言葉を否定することも出来ず
なのに
死を肯定することもできない
震災は一瞬で終わった
その一瞬で震災は大きなプレゼントを残して行った
僕は、みんなに
そのプレゼントを大切にしてもらいたいと願う
そのプレゼントを財産にしてもらいたいと願う
<解説>
この詩は書きたくなかった。理由はよくわからない。でも、なぜか書く気がしなかった。しかし、先日、「震災時の事も今だから笑い話にできる」と言って、その当時の事で話しが盛り上がっているのを見た。もう、震災は思い出になっている人がほとんどだろう。僕自身、この神戸に住んでいなかったら忘れていたに違いない。しかし、被災地では今もなお、苦しみ続けている人が大勢いる。この詩で少しでもわかってほしいと思う。本来、詩に解説文は付けないものだが、僕の未熟な詩では伝えきれない事が多すぎる。この解説文を読んだ後、もう一度、詩を読んでもらいたい。
僕は、あの日まだ布団の中で熟睡していた。だから、震災そのものの恐怖は余り覚えていない。地震から数分後、僕は表へ出た。外はまだ暗く(街灯が消えていたためいつもの暗さとは違った)、それでも何かが道に積み上がっているのがわかった。しばらくして、明かりを用意し、周りをながめてみると、瓦礫の山ができており、電線は垂れ下がっていた。
しばらくして日が昇り、明るくなってきた頃、空から灰が降ってきた。どこかで火事が起きているのがわかったが、それが何処なのかわからなかった。後でわかった事だが、おそらく須磨・長田の方からの灰だったのだろう。(僕が住んでいるのは、長田から西に行った垂水(神戸市の端の方)である。)小雨がちらついた。白い車についた雨滴は黒く汚れていた。情報が届かないためみんなを不安にした。
震災から一ヶ月もすると、本屋には震災本が幾つも並んでいた。そこには、火災の様子や倒壊した建物の写真などが多く載っていた。僕は、その本を開くのが嫌だった。何を伝えたいのかわからなかった。その当時としては、その様な写真が必要だったのかもしれないが、本当に大切な物(人の心)は伝わったのだろうか?
避難所に居た人が、ほとんどが仮設住宅に移って落ちつき始めた頃、住専問題が浮上した。国はすぐに動いた。しかし、被災者に対する補償問題にはほとんど触れられなかった。国は、人の命より経済を優先したように思えた。
もうすぐ、震災2年を迎えようとしている。被災地は3回目の冬を迎えている。僕は、ほとんど毎週、仲間達と仮設住宅に足を運んでいる。未だに、苦しんでいる人が多い。これまでの暮らしで、疲れはてた人達の暮らしは、これまで以上に深刻さを増してきている。
「あの時死んでいれば良かった」「生きていても望みがない。早く死にたい」こんな声をときどき聞く。僕はすぐに「そんなことはないよ」と言えない。どこかで、その言葉を肯定しているように思える。ボランティアは減った。仮設住宅に足を運ぶ人は少なくなった。人々の心は震災を思い出にしている。しかし、僕たちが希望を失ってはいけないと思う。
震災は、今まで隠されてきた社会の問題を浮き彫りにしてくれた。たとえば、孤独死。仮設住宅で孤独死が相次いだ。これは、仮設住宅に限られた問題ではなく、日常の社会でも起こっている問題である。また、人の醜さ。テレビや本等は、早い時期から「もし東京で地震が起こったら」と言い出した。マスコミは、ビジネスを優先する。「阪神高速が復旧した。被災地はほぼ復興している」被災地を知らない人は、信じるに違いない。時として報道は偽物を真実に思いこませる。この様に、震災はいろんな事を教えてくれた。僕は、これを震災のプレゼントだと思いたい。みんながそう思えるようになったら、きっと、良い方向に向かっていくのではないだろうか。
夢に出てきました。。。ある人を探している夢。
たまには思い出してあげないといけないかなと思います。
僕はその人のことを美代子さんと呼んでいました。
ずいぶん間があいてしまいましたが、ボランティアのことの続きです。
週末ボランティアで、ある仮設住宅へ訪問したときのことです。
ボランティアの人が呼ばれてにぎわっている家がありました。
元気なおばあちゃんの家です。
このおばあちゃんが、美代子さんです。
美代子さんとは、その後、「かみひこうき」というボランティアで親しくなりました。
「かみひこうき」と言うのは、被災者からの手紙をインターネットで全国へ発信するために作られました。
僕の家が事務所になっていました。
「かみひこうき」を初めて最初に来たのが美代子さんの手紙でした。
実は、美代子さんは字の読み書きがあまり出来ないんです。
このときの手紙も、間違いだらけの手紙でしたが、気持ちがうれしかったです。
その後、何度か、手紙をいただきました。
電話でも話すようになり。。。ボランティアに対しての考えが甘かったのを知りました。
みんなの前ではいつも元気なのですが、みんなが帰った後のことを考えることができていなかったのです。
美代子さんは、泣きながら電話をしてくることが多くなりました。
「寂しい」のです。
週末ボランティアはお話を伺うことを目的としています。
でも、そのお話のうち、どれくらいが本心なのでしょう?
中途半端にお話を聞くことが、逆効果になる場合だってあったのを実感しました。
仮設住宅というのは、日が暮れると暗闇が襲ってきます。
外灯はあるのですが、行った事のない人にはわからないと思います。
その中で一人になることが、それだけ怖かったことでしょう。
「ボランティアって自己満足の世界」ってよく聞きますし、そんな気持ちで参加されていた方もたくさんいました。
僕は間違ってると思うのです。
う~ん、うまく言葉にすることは出来ないのですが。。。
何回か話に出てきたボランティアのこと。
前々から書きたかったのですが、なかなか時間がとれずに書き出すことが出来ませんでした。
たぶん1回では書ききれないと思いますので、何回かに分けて書こうと思います。
おっと、阪神大震災のボランティアのことです。
「ボランティアは要らない!」
僕が参加したのは、震災1年後でした。
会社の先輩に誘われて、参加したのがきっかけでした。
週末ボランティアまだやっているので、参考までにサイトを見てください。
ここは、週末にだけ活動するボランティアで、当時、数ある仮設住宅を順番に訪問して、お話相手をしていました。同時に、国から公的援助がいただけるように署名集めもしていました。
僕は、この署名集めに賛同したから、その後も参加を続けました。
行政がしっかりしていれば、ボランティアの必要性はないと思ったからです。
ボランティアは早く無くすべきだと思っていました。
とはいっても、今の時代には必要なのかもしれません。
社会の構造がしっかりしていれば、ボランティアの出る幕はないはずです。しかし、現実は・・・。
実際に、署名集めをしていて、「お願いします」の声をたくさんいただきました。
だんだん、この声に疑問を持ちまじめました。
なぜ?あなた達は動かないの?
実際に運動を起こさないといけないのは被災者の方だと思うようになっていました。
何かが違う。。。
「お話を聞くことは責任を背負う」
当時の週末ボランティアは、数ある仮設住宅をひとずつ巡回していました。そのため、次に訪問する保証はありませんでした。
一軒ずつお話を聞いていく、時にはその人の孤独をさらに大きくしてしまう結果にもなってしました。
ある時、元気なおばあちゃんに出会いました。
しかし、元気なのは、お話を聞いているときだけだったのです。
ボランティアが去った後、一人で泣いていました。
急に孤独が襲うのです。
それを知ったのは、その後立ち上げた「かみひこうき」という、被災者からの手紙をインターネット上で発信する活動を始めたからです。
その後、このおばあちゃんとは亡くなるまで付き合うことになるのですが。。。
次は、このおばあちゃんについて書かせていただこうと思います。